朝鮮の食を科学する(7)
「ワカメスープ」信仰の知恵
伝統的な食習慣守れば丈夫な赤ちゃんが育つ
ワカメスープは朝鮮料理の代表的な一品である。日本の焼肉店のメニューにこれがないところはないだろう。どうしてなのか。
読者の中には「ワカメスープを食べないと母乳の出が悪い」、とか「ワカメスープをたくさん食べると赤ちゃんが元気に育つ」などの話を聞き知っていらっしゃる方も多いと思う。 それは朝鮮で古くから言い伝えられてきたことだが、根拠のない俗説ではない。科学的に立派に裏づけのできる生活文化としての食習慣なのである。 カルシウム、リンなど有数の含有量 母乳には赤ちゃんが生育するのに必要なすべての栄養成分が含まれていなければならない。特に骨格づくりのカルシウム、リンなどは妊産婦としては十分に摂る必要のある成分ではある。ワカメにはこの無機質(ミネラル)と呼ばれるカルシウム、リン、ナトリウムが多く含まれている。一般に海草にはこれらのミネラルが多くあるのだが、特にワカメのカルシウムは昆布やヒジキなどに比べても断然多く、他の自然食品中でも有数の含有量である。 このワカメをスープにして赤ちゃんを生んだ産婦は毎食のようにいただく、いや食べさせられるのである。これが赤ちゃんを生んだ母親の「義務」であった。スープを残そうものなら姑に小言をいわれることさえあったくらいで、この食習慣さえ守れば、丈夫な赤ちゃんを育てることはできたのである。 ワカメスープに限らず朝鮮のスープの量は多い。大型のドンブリにたっぷりのスープを匙でダイナミックにいただく、ワカメは汁の上に盛り上がっていて、スープを飲むより「食べる」という表現の方がぴったりだろう。それもお代わりすることさえある。それは丈夫な子育てだけでなく、産婦の健康にも良いというので、赤ちゃんが生まれることが予定される家庭では早くからワカメを仕入れて準備したものだったという。特に海から離れた山村ではそうであった。 そのワカメスープはお産のときだけでなく誕生日のスープメニューにこれが出されるのは、人間の成長の節目にあたる食べものであるとされるからで、朝鮮の生活文化としてのワカメの位置付けがわかるだろう。 こうした「信仰」に近いほどのワカメスープへの期待感は在日の私たちにも見られるのであるが、むかしに比べるとその位置付けは小さくなってしまっている。 赤ちゃんが生まれたときにワカメスープをちゃんといただいているのだろうかと気にかかる。焼肉料理店で出されるワカメスープの具が少ない。ワカメがスープに浮いているという感じでなんとも頼りない。 現在の食生活では母乳に必要なカルシウム、リン、ナトリウムなどは、ワカメ以外の食べ物からも十分摂ることはできる。牛乳や栄養剤があるからである。それも結構ではあるが、民族の生活から生まれた伝統の知恵は生かしつづけてほしいものだ。 11世紀の「世宗実録」にも散見 11世紀の高麗時代の記録「世宗実録」によれば、王家に男子が生まれると、塩を煮詰める釜(塩盆)と魚をとる道具の魚梁(オリャン)、そして海草類をとるための海岸の一定地域―この3つを財産として王子に分与したことが記録されている。この海岸を「藿田(クァッチョン)」と呼んだ。藿田では主としてワカメや海苔が採取されていたようで、この史料からも朝鮮の食卓でワカメが古くから重要なものであったかがわかる。この生活習慣が根強く今日まで続いて来ているのだ。 1980年にソ連邦ウズベキスタンのタシュケント、ブハラ、サマルカンドの市場調査旅行をした。この地域に約20万の朝鮮族が生活している。各地のバザールをのぞいてみたところ、朝鮮の食卓に見られるものはなんでもあった。キムチ、ナムル、粉トウガラシ、みそ玉(メジュ)、ゴマ油、麺類、餅、そしてなんとワカメと昆布が並んでいた。海から離れること飛行機で10数時間の中央アジアのど真ん中に海草を見つけたとき、朝鮮の食文化の力を見せつけられた。これを買うのは朝鮮族だけだと言うことだった。どこから持ってきたのかと聞いたら、「サハリン」(旧樺太)という答えが返ってきた。 |