55年ぶり、鴛九さん

父・呂運亨先生の墓参、8.15民族統一大会でソウル入り


 8.15民族統一大会に参加するためソウル入りした祖国統一民主主義戦線中央委員会呂鴛九議長(74)が14日、父の墓参を果たした。このニュースを南北のメディアが大きく取り上げている。

 同議長の父は、夢陽呂運亨先生。46年10月、平壌を劇的に訪れ、金日成将軍と朝鮮の独立・統一のための会談を果たした民族主義の指導者であった。しかし、47年7月19日、ソウルの恵化洞ロータリー付近で、狂信的なテロリスト韓智根の凶弾に倒れた。議長はその3女。父の墓参をする鴛九さんの目からは涙が止なく溢れ出た。

 「アボニム、18歳でお側を離れて50余年ぶりにようやくお訪ねすることがかないました。どうぞ、私の挨拶を受けて下さい。さる46年にソウルの実家の前で、平壌に発てと私の背を押して下さり、統一されたらすぐ行くからとおっしゃっていたのに、なぜ、ここに眠っていらっしゃるのですか…」。こうつぶやきながら平壌から持参した「白頭酒」を青磁の杯に入れて墓前に捧げた後、墓の回りの雑草取りをした。さらに、娘たちの代わりに父の墓を2代に渡って守り続けてきた柳ジヒョンさん(65)に心からお礼の言葉を述べ、深々と頭を垂れた。

 同議長の55年ぶりの墓参を周辺の住民たち100余人が、静かに見守りながら、「娘が父の墓参をするのはわが民族の伝統。秋夕にもいらっしゃれればいいのだが」と語っていた。

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 呂運亨先生は46年7月3日、米軍政と民族反逆者の魔手から娘の身を守るため、2女のヨング、鴛九さん姉妹を夜陰に乗じて38度線を突破させ、平壌の金日成将軍に委ねた。姉は19歳、妹は18歳。ソウル女子大学の学生だった。

 平壌に到着した2人はその足で将軍の自宅に向かい、金正淑夫人のねんごろな出迎えを受けたという。その後2人は、将軍の配慮の下、モスクワに7年間留学し、朝鮮戦争の最中に帰国。姉は義州外国語大学の教員、妹は金策工業大学の教員になった。

 85年、ナイロビで開かれた国際女性年世界大会に、姉のヨングさんが朝鮮民主主義人民共和国の代表として参加して、内外の注目を浴びたのは記憶に新しい。彼女は91年10月、ソウルで開かれた「アジアの平和と女性の役割」シンポに参加した際、金日成主席の花輪を父の墓前に捧げると共に初めて墓参を果たしたが、96年、悲運にも交通事故によって急逝。

 今回、墓参を果たした鴛九さんは、「祖国の統一が実現すれば、姉や私の孫たちもみんな連れて、父の霊前に参ります」と述べていた。

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