春・夏・秋・冬 |
この時期、いや8月15日を前後してテレビでは日本の侵略戦争を扱った特集番組がよく放映される。新聞も特集記事を掲載。出版界も右にならえで、戦記物が時期を意識して編集・販売される。いわゆる「際物」に類似した、恒例の販売戦術である
▼戦記物の新刊本ではなぜか、1945年8月9日のソ連の対日参戦を取り上げたものが目につく。それも、「自虐」意識を少しでも和らげるためか、宣戦布告のないソ連の参戦は「国際法違反だった」という内容を取り上げたものが圧倒的だ。ソ連の対日参戦を「国際法違反」というなら、日本の「真珠湾攻撃」はどういうことになるのか。「奇襲」と表現されるが、これこそがだまし討ち、侵略以外の何ものでもない ▼ソ連の対日参戦にあたって、米英との間で「ヤルタ秘密協定」(45年2月)が結ばれていたことは今や秘密ではない。当時の米英首脳は対日戦争が47年まで継続することを覚悟し、その1日も早い終結のために樺太、千島列島を提供する見返りにソ連に参戦を促した。ソ連が「国際法違反」というなら、その矛先は米英にも向けられるべきだろう ▼しかし、「真珠湾攻撃」当時から、ソ連との戦闘は必至と判断しながら、国策として数百万もの民衆を中国・東北部に送りこんだ当時の日本の支配層は、いざ戦争になった場合の彼らの避難策を当初から放棄していたというのだから驚きだ ▼「国体護持」という名のもとに自国民をも見捨てた日本。それから57年。日本の現状を見ながら、得た教訓は何だったのか、と思わず考えてしまう。(正) |