独島は朝鮮の神聖な領土

許宗浩・朝鮮歴史学会会長


 平壌26日発の朝鮮中央通信によると、許宗浩・朝鮮歴史学界会長(アカデミー会員・教授・博士)は朝鮮中央通信社記者と会見し、日本が不当にも領有を主張している独島について「朝鮮の不可分離の、誰も侵すことのできない神聖な領土である」と改めて強調した。

1500年前の開拓

 独島は、東経131度52分40秒、北緯37度14分18秒に位置している朝鮮東海上の小さな2つの島(東島と西島)とその周辺を囲んでいる30余の岩島、岩礁からなっている。

 許会長の論証によると、独島は鬱陵島とともに朝鮮人によって開拓(およそ1500年前)された後、朝鮮半島に存在した新羅についで高麗と李朝時代にも引き続き朝鮮の領土として行政的には当時、江原道の蔚珍県に属していた。

 独島が朝鮮の領土であるというのは、「世宗実録地理志」(1454年完成)など、朝鮮の史料にはもちろん、日本の史料にも厳然と記録されている。

 許会長はとくに1696年1月、日本の江戸幕府が鬱陵島と独島が朝鮮領であることを認め、日本人の鬱陵島水域への出入りを禁止する命令を下したこと、1877年3月20日、日本政府の最高機関である太政閣の岩倉具視太政大臣代理が内務省に鬱陵島と独島が「日本とは無関係なものにみなすこと」という指令を出したことなどを想起させながら、このような事実は独島が論ばくする余地もなく朝鮮の領土であることを示していると述べた。

日本の古地図にも明記

 許会長はまた、日本の古い地図を見ても国際法的見地から見ても独島は朝鮮の領土であると指摘し、次のような事実も明らかにした。

 朝鮮侵略(1592年)のため、九鬼嘉隆らが豊臣秀吉の命令によって作成した地図から始まり、日本海軍水路部が1883年、1945年6月に発刊した「水路志」に至るまですべて、独島を朝鮮領土の構成部分であると明記している。

 李朝政府は、1900年10月25日の勅令第41号で、独島が朝鮮固有の領土であることを世界に正式に公布した。これは、日本軍国主義者が独島領有権主張の根拠として持ち出している独島編入に関する「閣議決定」とねつ造品である「島根県告示」第40号なるものより5年も先立ったものである。

 また、日本領土を4つの基本島と連合国が決定することになるいくつかの島に限定し、戦前、日本のすべての島の所有権をはく奪すると指摘したポツダム宣言とカイロ宣言によっても、独島は明白に朝鮮の領土に所属した。

 許会長は、このように独島が徹底的に朝鮮の領土であるにもかかわらず、日本反動勢力が「独島問題」を執ように持ち出しているのは、その水域の豊富な天然資源だけを狙ったものではなく、領土の膨張、朝鮮再侵略のための足場をさらにしっかり固めようとする下心から出たものである、と指摘した。(朝鮮通信)

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