731部隊の研究引き継ぐ―日本の責任として追求

朝鮮戦争米軍細菌戦史実調査団・森正孝団長に聞く


 朝鮮戦争時の米軍による細菌戦の実態を調査するため、7月26日〜8月5日まで朝鮮と中国東北部を訪れた「朝鮮戦争米軍細菌戦史実調査団」。細菌戦の被害状況などを記録したフィルムの存在を確認するなど、少なからぬ成果があった。団長を務めた森正孝さん(60)に聞いた。(まとめ=李松鶴記者)

 ―朝鮮訪問の目的は?

 朝鮮戦争時の米軍による細菌戦は、旧日本軍の731部隊の研究資料を引き継いで行われたものだ。これは日本の責任として追及しなければならないことである。とくに日本は植民地支配などすべての戦争責任を何ひとつ解決していない。近現代史における日本が朝鮮に果たしてきた責任を問うためにも、この問題はきちんと解決すべきだと思った。

 そもそも20年ほど前から、日本の中国への侵略戦争について研究調査してきた。731部隊に関しては、91年、浙江省義烏を皮切りに南京や旧満州国だった地域などを訪ね、被害状況の調査を始めた。

 その過程で朝鮮戦争時の細菌戦について知り、昨年延吉経由で羅先市を訪問した。そして今年、正式に朝鮮を訪問することになった。

 ―朝鮮ではどのような調査活動をしたのか。

 今回の訪問では時間が限られていたので、主に平壌一帯を中心に調査活動を行った。

米軍が投下した細菌弾を調査する国際科学委員会調査団(1952年撮影、朝鮮戦争米軍細菌戦史実調査団提供)

 具体的には、細菌戦の研究者と被害者、目撃者の証言の収集を行った。彼らからたくさんの証言を聞き取ることができた。なかでも、朝鮮では昔から貝をワラに包んで贈るという風習があり、米軍がその風習を利用して細菌を注入した貝をばらまき、それを食べて亡くなった人が数多いという話が1番印象に残った。

 また、朝鮮戦争勝利記念館では細菌戦のコーナーを詳しく見てまわり、一般の人は閲覧できない資料まで見ることができた。

 今回の訪問で1番驚いたのは、戦争中の52年に朝鮮の国立映画撮影所のスタッフが取材・撮影した18分ほどの記録フィルムの存在だった。

 「米軍の細菌蛮行」というタイトルの記録フィルムには、米軍機から散布されたとみられるハエやクモなどが雪の上で這い回っている様子や、捕虜になった米軍機のパイロットらが細菌戦実行を供述する様子のほか、朝鮮側の防疫活動や、科学者らの調査団とは別に細菌戦疑惑を調査するため組織された英国やフランスなど8カ国の国際調査団の活動状況などが記録されていた。

 今回の調査を通じて、米軍による細菌戦が行われたということを改めて確信した。これまでも文書資料を通じて、米軍が間違いなく細菌戦を行ったということは知っていたが、人に伝えるための具体的な資料がなかった。

 今回の訪問で被害者や目撃者の証言を聞くことで、細菌戦のアウトラインを描くことができたと思う。

 ―今後はどのような活動を。

 細菌戦と関連した調査団が朝鮮に行ったのは、52年以来のこと。

 52年当時、民主法律家協会と国際科学委員会の2つの団体から調査団が派遣された。科学委員会調査団は同年6〜8月に調査を行い、レポートを作成した。しかし、このレポートは西側諸国からは一切無視されてきた。

 今回の調査で得た資料はすべて公開する。そうすることで、現在まで封印されてきた米軍による細菌戦の真相を暴露することができるだろう。同時に、今回の調査活動にとても協力的だった朝鮮との信頼関係をさらに深くし、より多くの被害者、目撃者、遺族らの証言を収集するとともに細菌戦の被害実態をさらに詳しく調査したい。

 一方で、米日の一部メディアは事実の隠ぺいに躍起となっている。こうした勢力とたたかうためにも、米日当局の情報公開を促すとともに、米国の、つまり加害の側から証言者を集めていきたい。

 朝鮮戦争に対する認識はいまだ低い。世界の3大空襲として、東京、重慶、ゲルニカがあげられているが、平壌も入れるべきだと思った。細菌戦や空襲はあくまでも朝鮮戦争のごく一部分であり、現場で調査を行ったことで、米軍の犯罪に対する新たな認識を持つことができた。

日本語版TOPページ