われらのチャンプ 洪昌守ストーリー -1-

「自分にうそはつきたくない」

朝鮮人を明かし「タブー」を味方に


 「とにかく強い!」「かっこいい!」「僕らの誇り」…。8月26日、5度目の防衛に成功し、世界王者の地位を不動のものにした在日朝鮮人ボクサー、洪昌守。在日同胞、なかでも同世代にとってはその人気もまた、不動のものだ。毎回会場を埋め尽くす同胞ファンを熱狂させるのは、その強さはもちろん、民族を守り、祖国、同胞社会を愛する彼自身の生き方にある。初、中、高と一貫して民族教育を受け、朝青東成支部大成班の班長を務めるなど、プロボクシングの世界で「タブー」とされてきた「在日朝鮮人としての出自」を堂々と明かし、そのセオリーを笑顔で覆してしまった。だからこそ同胞たちは彼を「われらのチャンプ」と呼んで誇りに思う。

人気の秘密

もはや名物?! 洪選手の試合では毎回、朝青員たちの熱狂的な応援が繰り広げられる(8月26日、さいたまスーパーアリーナ)

 ジーパンにTシャツ、そしてトレードマークの金髪。脚を大きく開き、膝の上に両手を乗せたまま体を乗り出すように話す。人なつっこい笑顔は、周囲を自然になごませてしまうような不思議な力を持っている。

 WBC世界スーパーフライ級チャンピオン、洪昌守。在日の現役スポーツマンとしては初の人民体育人、そして労働英雄でもある。かつて「日本人」として日本・東洋太平洋チャンプの座に着いた20人以上もの同胞ボクサーが自分の出自を隠さざるを得なかった「保守的」といわれるボクシング界で、在日を公言するという「タブー」をおかし、リング上から「祖国統一」を訴える史上初の世界チャンピオンとなった。

 トランクスには「ONE KOREA」の文字。「38度線上にリングを立てての世界戦。会場内が南北そして、在日の離散家族が再会できる場になれば」と夢を語る。出自を明かしたことでこうむったであろうさまざまな不利益を、自らの実力で逆に味方につけてしまった。「僕は世界チャンピオンだけど、その前に在日朝鮮人、洪昌守。自分にうそはつきたくない」。

汗が飛び散り、パンチが舞う。栄光の裏には地道な努力の積み重ねがある

 「道・険・笑・歩」―道険しくとも笑いながら歩こう。94年から6年間続いた「苦難の行軍」時期、朝鮮でスローガンとして使われた言葉を座右の銘として、ユニフォームに刻む。この言葉を胸に、「いつまでも朝鮮人として、リングの上でたたかっていきたい」と主張する。

 「朝青・東成支部大成班の班長」。世界チャンピオン、洪昌守の言わずと知れた「もう一つの顔」である。そのことに話題がおよぶと、「班長と言っても最近は、全然朝青活動に出られなくて…」とすまなそうにうつむいてしまう。その時、彼の心の中には、プロへの夢を求めてやってきた大阪で、いつもともに笑い飲み、時には議論したりもした懐かしい「仲間」の顔が浮かんでいる。「あいつらにほんと悪くて。来週行われる納涼大会には、必ず顔出さなきゃ」。

 5度目の防衛戦を1カ月と少しあとに控え、すべてをシャットアウトして試合に備えなければいけない時期だった。果たして彼は、東成支部管下の中大阪初中で行われた納涼大会に姿を見せた。そして地元の同胞青年たちはそんな彼の、チャンピオンになってからも変わらぬ人柄に信頼を寄せている。「チャンスソンベ(昌守先輩)は、僕ら東成朝青の誇り、最高の班長です」と。

 そして班長としての地盤を築いた大阪を離れて関東での試合が続くなか、会場の応援を盛り上げるのは、もちろん地元をはじめとする全国の朝青員だ。場内には朝鮮の国旗と統一旗がはためき、農楽舞や吹奏楽演奏、「ホンチャンス」コールが鳴り響く。全国の在日同胞青年にとって、彼は世界チャンピオンであると同時に、自慢の先輩、われらが班長でもあるのだ。「僕が勝つことによって、後輩たちに『努力すればできないことはない』という夢と希望を与えたい。これからもともに勝ち進みましょう」。(李明花記者)

 同胞とともに歩んできた在日同胞世界チャンピオン、洪昌守選手の軌跡を毎週金曜日で連載していきます。

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