われらのチャンプ 洪昌守ストーリー -2-

「世界の虎と呼ばれたい」

熱い心を祖国の人々も称える


「労働英雄」

「労働英雄」称号を受け、最高人民会議常任委員会の金永南委員長と共に記念撮影(2001年6月19日、平壌・万寿台議事堂)

 2001年6月19日、WBC世界スーパーフライ級チャンピオン、洪昌守選手は高級部以来、2度目となる祖国の地を踏んでいた。前年11月、東京・千代田区の朝鮮会館で「人民体育人」称号を受けた洪選手。祖国では「労働英雄」称号を授与されることになっていた。在日の現役スポーツマンとしては、両称号とも初の受賞となる。

 個人に与えられる称号としては、各賞とも朝鮮最高級の栄誉。そのダブル受賞にも、本人はいたって気負いがない。

 「『人民体育人』と言われても正直ぴんと来なくて…。でも『労働英雄』と聞いて思い浮かんだのは、昔ウリハッキョ(朝鮮学校)の教科書で習った李守福英雄」。1950〜1953年の祖国解放戦争時、命をかけて国を守った青年だ。

 「僕も教科書に載るのかなあ、なんて。うれしかった」

 朝鮮の国旗を掲げてリングに立つチャンピオンではあったが、高級部3年の修学旅行以来、祖国訪問は実に9年ぶりのこと。緊張と少しの不安が入り混じった気持ちで北京経由、平壌行きの飛行機に乗り込んだ彼を待ち受けていたのは、大勢の外国人訪朝客であった。

 「驚いた。機内は人種のるつぼで、世界各国からこんなに朝鮮を訪問する人が多いとは思わなかった。日本で報道されているほど鎖国的じゃない。正に『百聞は一見にしかず』ですね」

どこに行っても朝鮮人民の熱烈な歓迎を受けた(2001年6月20日)

 空港に降り立った彼を祖国の人々もまた、熱烈に迎えた。滞在中、異国の地、日本で民族を守りながら頂点に上りつめた若き在日同胞スターの動向を、朝鮮のマスコミは連日伝えた。

 「なぜ金色なの?」「西洋人かと思った」。熱狂のなか、とくに現地の人々の注目を引いたのは、今や日本ではトレードマークとなった金髪だった。

 平壌到着の翌日に行われた男女平壌プロボクシング選手との交流会に訪れたチョ・ファオク選手(当時24、朝鮮産業省プロボクシング選手団)もそんな思いを抱く1人だった。「やはり資本主義の影響でしょうか」。

 交流会終了後、本社平壌特派員のインタビューにチョ選手は次のように答えている。

 「洪選手が祖国、民族を愛する熱い心の持ち主だということが分かり、とても感動している。髪の毛も良く見ると金と黒がまじってまるで朝鮮の虎のよう」

 その人柄と生き様が、朝鮮の人々をも瞬時に魅了していたのである。

 「当時はちょうど、2度目の防衛を果たし(2001年5月、対゙仁柱戦)金色に染めた髪に段々と黒いものが混じり始めた頃。言われてみると、そうかと思った。うまいこと言うなあ」

 朝鮮の建国神話、「檀君神話」にも登場するなど、朝鮮では古くから強さの象徴とされてきた「虎」に例えられた洪昌守選手。

 「これからは『世界の虎』と呼ばれたい」と語った一瞬、目は虎のように鋭く輝き、金髪が毛並みのように揺れた。(李明花記者)

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