4000語網羅、ウリ学校に寄贈

朝鮮語、日本語併記「植物辞典」出版した玄正善さんに聞く


 「在日だからこそ、南北と日本語名、学術名を併記した『植物名辞典』が必要だと思ったのです」

 このほどほぼ4000語を網羅した「植物名辞典」を完成させ、ホッと一息ついた玄正善さん(75)。

 全国の朝鮮学校初級部に1冊ずつ、中級部に5冊ずつ、そして高、大学、各研究機関にも寄贈する。

 「半世紀を越えた分断の影響もあり、南北それぞれの植物図鑑をめくると、植物名や分類の仕方も少しずつ異なっている。1日も早く国土が統一され、わが民族の科学技術、特に植物学の統一的発展と共に、植物名の由来、原産地、渡来年、用途などが明らかになってほしいと願っている」

 できあがったばかりの本をめくって「さくら」の項を見ると南では「込蟹巷」、北では「頃蟹巷」と表記されているのが興味を引く。さらに「菩提樹」のページをめくると南は「杷蟹巷」、北の表記は「左軒呪蟹巷」とある。玄さんによるとこの「ポリス」という言葉はサンスクリット語だと言う。遥か昔の古代インドから朝鮮半島に至る深い交流史がしのばれる。たかが一冊の「辞典」と言うことなかれ。いつまでも飽きさせない魅力を秘めているのだ。

 玄さんは、解放前、済州島の農業学校に通っていた。故郷への愛着は、そこで咲いていた草花の記憶に結びつく。「ケイトウの赤い色が私にとっての故郷の原風景。私たちの世代にはその色や香り、風の流れまで、胸の奥に刻まれている。しかし、次の世代にはそれがない。彼らに植物への興味を持ってもらうためには、朝鮮語からも日本語からもアタックできる辞典が必要だと思った」

 玄さんは3年がかりで南と北の植物辞典と日本の植物辞典を調べ、一つひとつ対比させて、細かい作業を積み重ねていった。ノートは数十冊にもなった。

 玄さんは金融などを手広く営む商工人。ハナ信用組合の発起人の1人でもある。農業学校出身とはいえ、解放後、日本の大学で応用化学を学び、卒業後はずうっとプラスチック業などを営んだ。3男1女に恵まれ、仕事も家庭も順風満帆の人生。そんな中でハタと思い出したのが、昔、故郷で触れた植物のこと。そして、それを次の世代に伝えていく責務がある、という思いだった。原稿、校正、出版、発送まですべて自力。作業の過程で高校2年生の孫や荒川支部商工会の人たちがパソコン作業などで協力してくれたのはうれしかったと話す。

 「まあ、素人仕事ですからね。これを刺激にして専門家たちが一念発起して在日同胞や子供たちが使える本格的な植物辞典をぜひ作ってほしい」とあくまで謙虚に語った。
(朴日粉記者)

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