月間平壌レポート  2002.9

見えてきた新時代のビジョン

情勢変化に人々の期待感


平壌では新義州特別行政区合意書の調印が行われた
 朝鮮半島情勢が大きく動いた2002年の9月であった。

 歴史的な朝・日首脳会談、新義州特別行政区に関する政令発表など、驚くべき出来事が相次いだ。北南間でもいつになく対話・交流が活発だった。

 8月中旬、中断されていた閣僚級会談(第7回)が再開されて以来北南関係は急進展、北南行事は目白押しであった。東海線、西海線の鉄道・道路連結着工式、第4回北南赤十字会談、第5回離散家族面会、北南交響楽団合同演奏会、北南サッカー大会など、平壌、ソウル、金剛山などの朝鮮半島各地でさまざまな行事が催された。

 人びとは「北南関係は新たな発展段階にある」と歓迎している。

統一のイメージ

 9月に2週間も金剛山旅館に寝泊まりした記者たちがいた。白頭山で採火した釜山アジア大会の聖火を、南の代表に手渡す6日の金剛山行事が最初の取材であったからだ。その後、第4回北南赤十字会談、第5回離散家族面会などの対話、行事があったのだが、これほど相つぐ北南行事を長期間にわたって取材するのは初めての経験だという。

 北南間の対話・行事を仕切る関係者も、取材現場で会う記者たちも、疲れが見え隠れしていた。体が壊れてしまうと冗談まじりに語っていたが、「祖国統一が近づくのだから」「みんなの期待がかかっている。自分ひとりの身ではない。」と気を引き締めていた。

 責任感をもって仕事をしているのは、関係者たちだけではない。

 金剛山の位置する高城郡一帯は、8月31日から9月1日にわたり台風15号に見まわれ、62人の死者がでるなど多大な被害を受けた。家屋が流失し、元山と金剛山を結ぶ高城郡内の8カ所の橋が破壊、道路も所々寸断された。

 困難な生活の中でも高城郡の人びとは、早速迂回道路を設け、橋と道路の補修作業にあたっていた。郡人民委員会の関係者は、金剛山での会談・民間行事を絶対に中断させるわけにはいかないと、住民たちが奮闘していると説明してくれた。

 行事の運営が心配されたが、高城郡の人々のおかげで、金剛山での行事はほぼ予定どおり行われた。

相次ぐ北南行事

 開城で行われた18日の西海線の鉄道・道路連結着工式。70代の女性は「植民地時代、鉄道は人々が故郷を離れる手段、日帝が物資を略奪する手段として利用された悲劇の鉄道だったが、ついに分断民族の心を結び、民族の繁栄に役立つ列車を見ることができる」と、涙ながらに語っていた。

 最近の急進展している北南関係は、統一に対する人々の認識に大きな変化をもたらしていると言える。

 20年間開城駅に勤務しているリョム・ファスクさんは、「途切れていた鉄道が結ばれ、北と南を往来できる日がいよいよ現実になるので、とてもわくわくしている。今まで現実問題としてとらえられなかったが、ソウル駅に到着する自分たちの姿がイメージとしてわくようになった」と、感激に満ちていた。

 また、第5回離散家族面会の場で、号泣する家族の姿はほとんど見られず、以前に比べると驚くほど冷静だった。家族たちは「また会える日がくるから」と、希望を込めながら話していた。

 最近、平壌市民の関心と話題は、一連の経済措置と発展する北南関係だ。新価格の制定、東海線、西海線の鉄道・道路連結の着工、新義州特別行政区の制定、離散家族面会の定例化などを念頭において、「金正日総書記の構想が表面にあらわれ、それがひとつの線に結ばれ始めている」と、話している。

 「金正日将軍だけ信じれば必ず勝利する」「苦難の行軍」の時期、朝鮮人民は未来を楽観し、困難を克服してきた。

 強盛大国建設そして祖国統一の展望が見えてきた今、市民はその訪れを肌で実感している。そしてこの巧みに導いている指導者を「領導芸術の大家」と呼びながら、支えている。強盛大国、祖国統一への目標に一歩近づくたびに、指導者と人民の一心団結はさらに強固になっている。(姜イルク記者)

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