朝鮮学校の「正式な学校」認可−国連、日弁連勧告促す世論を |
既報のように大阪、愛知の民族教育対策委員会、「民族教育の未来を考える・ネットワーク広島」のメンバーは17日、河村建夫文部科学省副大臣に朝鮮学校など外国人学校を正式な学校として認可するよう求める約24万人分の署名を提出した。日本政府に差別是正を求めた国連や日本弁護士連合会の勧告を実行させるためのものだ。 危機意識 大阪で署名運動が行われたのは94、96年に続き3回目。この10年間に同胞らの運動が結実し、自治体からの助成金は3000万円台から3億円にアップした。
しかし近年は、保護者たちが大阪市に求めている保護者補助金制度の新設がなかなか実現しない。大阪朝鮮第4初級学校オモニ会の千秀月会長は、「まだまだ運動が足りないと思い」署名運動に奮起した。 「署名は朝鮮学校が直面する問題を解決するため」と話すのは、北大阪朝鮮初中級学校教育会の金致萬副会長。「新入生の減少は深刻で、学費とも大きく関係している。日本市民と同様、納税の義務を果たしているにもかかわらず教育を受ける権利すら保証されないのはあまりにもひどい」。そんな危機感が金さんを運動へと駆り立てた。 広島では昨年9月に結成された「民族教育の未来を考える・ネットワーク広島」が署名運動の母体となった。日本とコリアンの教育関係者と市民がメンバー。広島県は広島朝鮮学園を学校教育法に定める「1条校に準ずる学校」として認知し、助成の充実をはかったり、高体連の準加盟を認めているが、「政府レベルの対応が立ち遅れている」(広島県立安芸高等学校職員の丁稔明さん)と運動に取り組むことになった。 「知らない」現実 署名は、法的拘束力こそないものの、差別の実態を訴える過程で日本市民が朝鮮学校にどのような印象や認識を持っているのかを知ることができる。 3地域とも一般市民を対象にした公開授業、自治体への要望を署名運動と同時に進めた。大阪は府下すべての学校を公開し、1000人が訪れた。一方、愛知・豊橋朝鮮初級学校は運動期間中の昨年9月22日、創立57年目にして初の公開授業を開催。自民党の国会議員や豊橋市長ら日本の教育関係者が訪れたが、「資格や助成など日本の学校とまったく一緒だと思っていた」(豊橋商工会の朴春明会長)という。 このように、「知らないことが偏見を生む」(生野初級学校を訪れた山下直也さん、生野区役所職員)ことに気づいた市民も多かった。 署名の追い込みをかけようとした秋、朝・日首脳会談で日本人拉致事件が明らかにされ、街頭署名を中断せざるをえなくなったことは痛手だったが、「心ある日本の人たちが首脳会談のあくる日、JR寺田町駅でビラ配りをしてくれたことに励まされた」(洪恵子・生野初級オモニ会役員)と、逆にきずなを確かめた同胞も少なくなかった。 地道に実効的に 文科省に署名を提出するのは大阪が97年4月、20万人分の署名を小杉隆文部大臣(当時)に提出して以来約5年ぶりのことだ。 この間、朝鮮学校を取りまく情勢は大きく変わった。まず、国際世論の盛り上がりだ。国連の子どもの権利委員会、自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会、社会権規約委員会が続けて朝鮮学校に対する差別是正を日本政府に勧告した。国内でも日本弁護士連合会は98年2月、外国人学校に対する差別は「重大な人権侵害」だとして日本政府に差別解消を促した。 なかでも01年8月31日に出された、社会権規約委員会の勧告は注目に値する。「朝鮮学校を正式に認可して」財政補助とその卒業による大学入学資格を与えることを求めたからだ。 今回、大阪、愛知、広島の代表は朝鮮学校を正式な学校として認めるよう求めたが、各地の民族教育権運動のネックになっているのが、制度の壁、つまり朝鮮学校が各種学校の枠に押し込まれている点だ。 要請に同席した池坊保子・衆院議員(公明)が99年3月11日、衆議院文教委員会で外国人学校が日本の学校とほぼ変わらないカリキュラムで授業を進めていることに触れ、「なぜ外国人学校は各種学校なのかという疑問を持っている」と政府の対応を促したように、現在の法的地位を向上させてこそ資格、助成面の差別を一括して解消できる。 このたび大阪は初めて民族学級の制度的保障を署名の内容に含め、中華学校とともに運動を進めた。文科省への要請には広島の日本人教職員も加わった。 国連、日弁連勧告の実行を日本政府に促す実効力ある運動がますます求められている。(張慧純記者) (関連記事) [朝鮮新報 2003.1.28] |