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〈インタビュー〉 10年間で42回上演したドラマティック・リーディング「千鳥ヶ淵ヘ行きましたか」の作者石川逸子さん

 劇団民藝が10年間にわたって上演してきたドラマティック・リーディングうぃずケーナ「千鳥ヶ淵ヘ行きましたか」が、3日、東京で終演を迎えた。この間、東京、沼津、川崎、横浜、米子、大阪、岡山など日本各地42カ所で上演され、大きな反響を呼んだ朗読劇について作者の石川逸子さんに話を聞いた。

石川逸子さん

 石川逸子さんが詩集「千鳥ヶ淵へ行きましたか」を書き上げたのは20年前の暑い夏だった。「千鳥ヶ淵で、ふつふつときこえてきた死者たちの声を、ほんの少しでもすくいあげたくて」。

 日本敗戦40年目の夏。そして、彼らに重なり、彼らを圧するかのようなアジア、太平洋地域の死者たちの怨嗟と慟哭の声声ー。石川さんは日本軍の性奴隷にさせられた朝鮮の少女の苦痛をこう詠んだ。

 「○○さん/うす紅色の鳳仙花がほおっと咲いたような/あなたは可憐な少女でした/『女子愛国奉仕隊』として狩り出されるその日まで/朝鮮ピーとあなたは蔑んで呼ばれた/○○さん 私のくにの男たちがあなたにしたこと/騙して 奪って/日々たて続けにあなたが人間でない ひとかたまりの 穴であるかのように/人間でなくなっていたのは/私の国の男たちなのに(略)」

 死者たちの声に突き動かされて、詩集を書いてから10年目の95年夏。劇団民藝の演出家、渾大防一枝さんがドラマティック・リーディングという形式で詩集全編を上演したところ、大きな反響がわき起こった。その時の感動を石川さんはこう語った。

 「田嶋陽子さん、劇団有志の女優さんたち、ケーナの中村美子さん、裏方のみなさん、どなたも手弁当で会場申し込みからチケット販売まで、夢中でやってくださったのです」

 紙の中で活字としてうごめいていた詩群。「生身の人間が、思いをこめて演じることで、立ち上がり、ケーナの音とともにより深く、観る人びとの心にはいっていったのではないでしょうか」と朗読劇の持つ迫力に驚きを隠さない。

 「10年間、やり続ける」(演出の渾大防さん)と決意した通り、公演は10年目の9月2、3の両日、東京都北区の北とぴあで満員の観衆を集めて節目のフィナーレを迎えた。

 しかし、この10年の歳月は日本の風景を一変させた。今夏の上演で詠まれた詩「再び銃後となってしまった国で」は、今の日本の光景を鋭く映し出している。「日の丸の小旗をふって、イラクに出動する自衛隊を見送る沿道の人々。子供の頃によく観た光景をまた、見ることになろうとは」。石川さんの怒りと嘆きは深い。

 今年7月、自民党の安部晋三幹事長は「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」席上で、「従軍慰安婦は歴史的事実ではない」との暴言を吐いた。かつて奥野元法相らの「従軍慰安婦は商行為」「慰安婦が強制だったという客観的証拠はない」というのと同じ暴言が、性懲りもなく繰り返されたのだ。

 この暴言の残酷さは、身体と心に深い傷を受けた彼女たちを半世紀以上経って再び侮辱するものであり、加害者と被害者たちとの、このあまりの逆立ちした関係は正されねばならない、と石川さんは主張する。

 「そんな暴言が指弾されるどころか、式典での君が代強制に勇気を持って異議を申し立てたPTA会長がむりやり役を引きずり下ろされる事態にまでいたっている日本。危うい、まことに危うい」

 21世紀に入って、戦争の世は終わるどころか、ますます牙をむきだしにしている。石川さんは「かつての戦争で失われたおびただしい命たち、非業の死者たちの無言の叫びに耳を傾けて、一人一人が自分のスタイルを持って、『これではいけない』という思いを広げていかなければ」と静かな口調で語った。

 石川さんはお茶の水女子大史学科を卒業し、公立中学校の社会科教師の傍ら、詩作を続け、83年に退職。ミニ通信「ヒロシマ・ナガサキを考える」を発行する中で、日本軍によって殺されたアジア・太平洋地域の膨大な死者に気付き「ゆれる木槿花」(花神社)、「砕かれた花たちへのレクイエム」(同)などの詩集や、「『従軍慰安婦』にされた少女たち」(岩波ジュニア新書)などの著書を次々に発表してきた。

 今度の公演に高校生3人連れの姿や若い人たちがたくさん駆けつけてくれたのが、ことのほかうれしかったと微笑む石川さん。一つの希望ですが、と前置きしながら「いつか、この朗読劇を朝鮮学校と日本の高校生が一緒に観て、共に考え、感想を語りあう日がくればどんなにいいかと思います」と語った。(朴日粉記者)

〈誌〉 再び銃後となってしまった国で−2004年−

[朝鮮新報 2004.9.21]