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大阪 ミュージカル「豆もやしの歌」 4回上演、3160人観覧

 大阪市生野区で暮らす童話作家で焼肉屋の女将・高貞子さんの脚本によるミュージカル「豆もやしの歌」が11〜13日、大阪中央区のエル・おおさか大ホールで4回上演され、約3160人の観客で埋まる大盛況となった。

在日と日本の若者

カーテンコールを受ける出演者たち

 ミュージカルの舞台はコリアタウンで知られる生野区。この街で小さなキムチ店を営む在日1世のハルモニの生き生きとした暮らしぶりと波乱万丈の生涯を万感の思いを込めて描いた。

 出演したのは、在日朝鮮人と日本の若者ら180人である。オーディションを通して選ばれた出演者らが、優しさとヒューマニティーあふれた舞台を盛り上げた。朝鮮の歌、踊り、パンソリを織り混ぜた人情話に満ちた舞台を終始やさしく包んだのは、韓国で古典から現代曲までこなし定評のある人気伝統音楽グループの「スルギドゥン」。若さゆえの素人ぽい演技を、民族情緒豊かな音楽で十分補って、満員の観客の心に強い印象を残した。クライマックスでは、出演者約100人による朝鮮の伝統民俗芸能パンソリが、異国で息を引き取るハルモニへの哀切を歌い上げ、感動の渦を巻き起こした。

愚直な生受け継ぐ

100人のよるパンソリはハルモニの苦難を歌いあげ、絶賛を浴びた

 植民地時代に日本に強制連行されたり、移住をよぎなくされあらゆる辛酸を嘗めた1世同胞の生を深い陰影を漂わせながら、温かなまなざしで描くミュージカルの上演は、高さんの長年の夢だった。日本敗戦直前の大阪大空襲のため、高さんの両親は東住吉区桑津町百済に暮らすハルモニ(外祖母)の家に疎開。47年高さんはそこで生まれた。

 「ハルモニの家は古い済州島の暮らしがそのまま息づき、あらゆる人々を受け入れ、様々な人が行き交う居心地のいい空間だった」

 苦労を重ねながらも、人を気遣い、生き生きと暮らす1世同胞女性のたくましさ。猥雑さの中でも、ひたむきさや高潔さを失わなかった愚直な生。

 「その高い精神性によって、私たちをまっすぐに育んでくれたハルモニたち。彼女たちがこのミュージカルを見て『生きてきてよかった』と胸のつかえがとれるような贈り物にしたかった」と語った。

友人たちから祝福を受ける高貞子さん(右)

 舞台は「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」(島崎藤村)のような、故郷の村に寄せる激しい望郷の念を抱いて生きた1世たちへの切ない愛情が溢れだし、観客の熱い共感を呼び起こした。

 舞台でパンソリを歌った大阪市内の大学生・西尾舞子さん(18)は、仲間の3人と共に3カ月の厳しい練習を経て、舞台に立った。「一時は喉が腫れて声が出なくなり、どうしようかと思ったこともあったが、パンソリの後、満員の観客席から嗚咽がもれるのを聴いて、鳥肌が立つほど感激した」と言う。「大阪で住んでいても舞台に立つまでは、在日のことは何にも知らずに生きてきた。この練習期間に学校で学べなかった現代史を教えられた。日本が朝鮮を侵略したこととか、どんなにひどいことをしてきたか、初めて知った。知らないと本当の友達にはなれない。無知は罪だと思った。今は、もっと知りたい、学びたい気持ちでいっぱいだ」と語った。

 また、パンソリに出演した姜絹江さん(49)は、30歳で渡米、17年間ニューヨークで暮らし、一昨年日本に帰ってきた。その間、米国人男性と結婚し、破局。人生の苦しみも体験したが、今は、同胞たちに見守られながら、在日1世のデイケアセンターで働いている。「いま、認知症(痴呆症)の1世同胞たちと日々、向き合って暮らしている。ある1世のハルモニはどんなに記憶が衰えても、60年前に渡日直後行き倒れとなっていた時、親切に助けてくれた寺の住職さんへの感謝の気持ちをいつも話してくれる。そのことが、彼女の一生の貴重な体験として刻まれているのだと思う。家族を支えて、息をつく暇なく働いてきた1世たちへの応援歌になればと思い、この舞台に立った」と姜さん。

 期間中、関西在住の1世405人と民族学校の生徒約700人が招待され、観覧した。(朴日粉記者)

コンナムルのうた

[朝鮮新報 2005.2.23]