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ソウルと済州市で「洪永佑・高三権2人展」 「絵画は統一の共通分母」

 在日同胞画家の「洪永佑・高三権2人展」がソウル(8月10〜16日=鐘路区仁寺洞・ギャラリーアートサイド)、済州市(8月22〜28日=済州市学生文化院)で開かれた。6.15共同宣言5周年、解放60周年を記念して開かれたもので、主催したのは、統一祈願晩春文益煥先生記念事業と韓国民族芸術人総連合。同展のために約3週間、ソウルと済州市に滞在し、このほど帰日した洪永佑氏が本紙に寄稿した。

朴容吉女史、金潤洙国立現代美術館館長ほかによるオープニングのテープカット

 日本で生まれ、日本の文化の中で育った在日画家の描く民族的情緒感情、美感が南の土壌とそこに生きる人々の目にどう映るのか。南朝鮮での初個展で、このことに強い思いを馳せた。

 私は二度目のソウルだが、友人の高三権さんは初めての訪問。ソウルは社会も人々も3年前とは大きく変わり、南北関係が間隔的にさらに近づいていることを実感させた。私たちの「2人展」を伝える南のメディアも、「朝鮮籍の在日同胞画家」という点に重点をおいて、それを強調する捉え方が目についた。朝鮮籍である私たちに共感するかのような印象すら与える。これも3年前には考えられないことであった。「自主平和統一のための8.15民族大祝典」のさなかというせいもあろうが、6.15共同宣言が巨大なウェーブとなって脈打っているのを目の当たりにする思いだった。

会期中、3000余人が詰めかけたソウル展の会場

 8月10日のソウル展オープニングセレモニーには、朴容吉女史(故文益煥牧師夫人)はじめ、金潤洙国立現代美術館館長、金容泰韓国民族芸術人総連合副会長、呂運韓国民族美術協議会代表、金在洪国会議員(開かれたウリ党)、ハン・サンリョル牧師(6.15大祝典南側委員)、李亨求鮮文大学大学院学院長、文芸評論家の具仲書氏ほか、80余の人々が参加し2人展を心から祝ってくれた。また、93年の「コリア統一美術展」を共に成功させた多くの美術家が駆けつけ再会を果たした。

 朴容吉女史はオープニングのあいさつで、「南北には、60年間それぞれの道を歩んできたために互いに異なったものと共通するものがある。異なったものはそれなりに尊重し合い、今後この美術展を機会に、北でも南でも大小の美術展をどしどし開いて、共通するものを共通分母として発展させれば、南北はより親しくなり、統一をさらに早めることができると思う」と述べ、私たちのささやかな2人展を統一という視野のなかに位置づけてくれたのには恐縮した。

仁寺洞の目ぬき通りに掲げられた2人展の横断幕

 一方、済州展では済州市のキム・ミョンフン市長が済州入りした私たちを昼食に招いてくれただけでなく、オープニングセレモニーにも駆けつけて祝辞を述べるなど、厚くもてなしてくれた。ここには金守埴祖国平和統一協会会長も招待を受けてテープカットに参加した。とくに、済州のテレビと新聞は、65歳にしてはじめて故郷済州島を訪問した高三権さんを大きく報道、済州出身在日朝鮮籍画家に対する関心の高さをみせた。また民族芸術人総連合済州支部とタンナ美術協会の人々の惜しまぬ支援と協力には、頭の下がる思いだった。この歳にして新聞の集中的な取材攻勢を受けるのも初体験なら、テレビのトーク番組に出演することもまた初めての経験であった。

 展示会を通して、在日画家の表現する民族的情緒感情が南の同胞のそれとたがわないことを確認できたことは画家としてのなによりの成果であった。もちろん、過ぎたほめ言葉という面は留意すべきだが、抽象的概念でなく直接的感情、感性として民族的情緒、美感を共有できることが確認できえたことは貴重な収穫である。

 また、このたびの2人展を通じて、統一の新たな歴史を共に切り拓こうとする多くの友人を得ることができたことは、なににも変えがたい成果といえる。これは、今後北南と在日を含む海外同胞が統一時代にむけた新しい試みの輪を広げる礎になるにちがいない。

 最後に、私たちが在日朝鮮人画家としての信念に基づいて「2人展」に臨んだことに、主催者はじめとする関係者はもちろん、南のメディアまでが共感を示してくれたことは、当然とはいえうれしいことだった。目的のために信念を曲げる一部現象を見るにつけ、その感をより深くするのである。(洪永佑、画家)

「洪永佑・高三権2人展」 「わが民族の美意識そのもの」

[朝鮮新報 2005.9.10]