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〈この人、この一冊 −4−〉 「四国西南海岸レポート−朝鮮・韓国特集号」 安岡英二・鈴木幸子夫妻

朝鮮敵視政策許した 国民の意識を変えるべき

病魔と闘いながら、朝鮮問題と取り組む安岡、鈴木夫妻

 四国の西南端に位置する宿毛湾。高知市から車で約4時間走ってこそ出会える大自然である。さわやかな潮風に吹かれながら南国ならではの詩情あふれる風景に見とれてしまう。

 眼下に湾を一望する大月町龍ケ迫で、ミニコミ誌「西南海岸レポートー原油基地賛成のむらから」を発行しながら草の根の平和運動に取り組んできた安岡英二、鈴木幸子夫妻を訪ねた。2人が東京から移り住んだのは34年前。現在、夫は67歳、妻は68歳に。

 「大政翼賛時代の時流に抗うレポートを」。夫妻の志の高さゆえに、その身辺はいつも穏やかな空気に包まれていた訳ではなかった。地域の原油基地賛成派とのあつれき、環境問題への真しな取り組みにも、「いずれ、尻尾を巻いて都会に戻るだろう」と白眼視されたことも。しかし、2人はほぼ毎年、硬派レポートを世に送り出し、6月には、さまざまな困難を乗り越えて、27号目になる本書「朝鮮・韓国特集号」を刊行したのだ。

 安保世代の2人が出会ったのは、早稲田大学キャンパス。共に文学部の学生として、時代の息吹を共有しながら過ごした。卒業後、それぞれ出版社の編集者と新聞記者に。

 数年後、安岡さんは「脱都会」を決心し、2人でこの地での再出発を始めた。「なぜ、四国の西南端に?」父祖の地という縁で、高知市内に安岡さん名義の土地が遺されていて、借り手の在日朝鮮人Sさん一家との20余年に渡るぬくもりある交流が続いていたこと、また、その頃、宿毛湾の原油基地化計画が緊迫の度を増していて、龍ケ迫の海も暮らしも破壊されそうな気配が濃厚だった。

 「運動に勝ち目がなくても、何かを働きかけずにはいられなかった。地域の人と自然とを結ぶ生活の豊かさ、すばらしさを教えられた、そのことを記録し伝えていきたかった。ここに根づいて、地域の人々の信用を得るためには、定住が不可欠だった」と当時を振り返った。

 暮らしは楽ではなかった。地域レポートの発行の傍ら、生活費を稼ぐために、村の子どもたち相手に英語塾を開いた。労働は倍、収入は東京での十分の一程に落ち込んだ。そんな2人の孤独感を癒し、「強い味方」となったのが、Sさん一家だった。

 Sさん夫妻が「2人の意識を朝鮮へと誘ってくれた」と感謝の言葉を口にする。たとえば、神戸朝鮮高級学校に在籍していたSさん夫妻の娘から、祖国への修学旅行の体験談や白頭山の話を聞いたりしたことも。彼らとの交流を通して、「日本の近現代の底には抜き差しならない朝鮮問題が存在することを少しずつ理解していった」と話す。

朝鮮革命博物館を訪ねた夫妻(01年8月、左から2人目と3人目)

 当時を振り返りながらこう語る。

 「それまで植民地朝鮮の通史というものを私は一冊も読んだことがなかった。在日の人たちの生きざまや朝鮮問題のレポート、雑誌『イオ』などを読んだことはあったが、それらの根本にある日本との関わり、日本の朝鮮侵略の過酷さについては全く無頓着だった」。勉強すれば勉強するほど、自分たちを含む普通の日本人が朝鮮半島への日本の侵略の歴史についてあまりにも無知なこと、そしてそれが戦後日本の在日朝鮮人への数々の暴言や、朝鮮敵視政策を許してきた国民の意識にもつながっていることがわかったと。

 安岡さんの朝鮮観を形成するうえで、岡山大学医学部で博士論文作成中に召集され、中国東北部、台湾を転戦し、44年にグァム島で玉砕した父の影響も軽視できない。

 かつて、抗日パルチザンが抵抗の拠点とした中国・間島やソ連との国境地帯。日本の朝鮮侵略の爪あとが刻印されているこの場所から、父の手紙が投函されたことを後に知った。

 01年8月、初訪朝した安岡さんは平壌到着の高揚感をこう記した。

 「侵略天皇の息子を、いまだに『象徴』とする国から、植民地支配にあえぐ人民を解放した抗日戦の指導者・故金日成主席を父と慕う国へ、本当に来てしまったのだ」と。

 朝鮮での鮮烈な体験を書き始めた直後、安岡さんは脳幹血栓に倒れ、以来6年も疼痛に苦しむ。さらに、今年3月には妻の鈴木さんに大腸ガンが見つかり、手術、療養生活を余儀なくされた。

 病魔との闘いを経て、2人が渾身の力を注いで作り上げた本書。「一冊一冊売り歩くと、戦前のように騙されないよう、真実を書いて」と発破をかけられることも。「頑固同士の2人が、喧々諤々論争しながら、普通の日本人の朝鮮認識を何とか変えたいと思って書いたもの。ぜひ読んでほしい」と鈴木さんは力を込めた。(原油基地賛成のむらから学級、1000円+送料290円、TEL 0880・73・1373)(朴日粉記者)

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[朝鮮新報 2007.8.1]