「責任者処罰」で暴力のない21世紀を

日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷
「戦争と女性への暴力」ネットワーク  VAWW−NET Jpan代表 松井やよりさん


 ――20世紀最後の年の最後の月、2000年12月の「女性国際戦犯法廷」(「女性法廷」)に向けて忙しい日々を過ごしていらっしゃいますね。

 ●3月半ばから沖縄、旧ユーゴ、そして上海に出かけます。上海では3月30日から4月1日まで「慰安婦」問題国際シンポジウムが、そして2日には「女性法廷」国際準備会議が開かれる予定です。「女性法廷」参加国である南北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、日本のほか、米国、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、香港など内外から100人が参加します。上海会議ではいくつかの重要事項を決定します。「女性法廷」に提出するために各国で作成中の起訴状について意見交換し、「法廷」憲章も最終決定することになるでしょう。

 20世紀は戦争と女性に対する暴力に満ちた時代でした。なかでも日本軍性奴隷制は、最大規模の悲惨な戦時・性暴力でした。何とか生きて故国へ辿り着いても半世紀もの間、沈黙を強いられてきた被害女性たちが、90年代に入ってアジア各国で相次いで名乗り出ました。彼女たちは日本政府に真相究明、公式謝罪、国家補償、責任者処罰などを求めてきましたが、日本政府は今でも法的責任を認めていません。

 日本とは対照的にドイツでは、ナチ戦犯をドイツ人自身の手で今も裁き続け、10万件以上のナチ戦犯容疑者を捜査し、6000人以上を有罪にしました。ところが、日本国内では、ただ1人の戦犯も裁かず、侵略戦争や植民地支配を正当化し、「慰安婦」制度を肯定する勢力が台頭しており、私たちは強い危機感を抱いています。今も苦痛の中に生きている、彼女たちの尊厳の回復のためにも、世界の女性たちで国際的な民間法廷として日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」を、加害国日本の首都で開くことにしたのです。


 ――ここに至る女性運動の役割には目覚ましいものがあります。

 ●戦争が起きると必ず性暴力の問題が起きます。例えば、バングラデシュでも独立戦争の時、わずか9ヵ月の間に20万人の女性たちが強かんされました。しかも、そのことは長い間隠されてきましたが、90年代に入って、アジアの元「慰安婦」の女性たちが名乗り出て、証言するのを聞き、バングラデシュでも人権団体が活動を始めました。ユーゴ内戦でも、2万人が強かんされたそうですが、その被害女性を支援している女性活動家も元「慰安婦」の女性たちの証言に非常に勇気づけられたと語っています。

 それは、97年に「戦争と女性への暴力」国際会議を東京で開いた時に聞きました。この会議には「慰安婦」問題に取り組んでいるアジア各国の女性だけでなく、旧ユーゴ、ルワンダ、東ティモール、あるいは基地問題を抱えている沖縄などの女性たちが参加して、武力紛争や戦争における女性に対する暴力についての対策を話し合いました。これをきっかけに国際的なVAWW―NET(「戦争と女性への暴力」ネットワーク)が発足して、翌98年にVAWW―NET Japanを立ち上げたわけです。女性への暴力の問題は国境を超えて、一緒に取り組まなければいけないと実感しています。

――松井さんは、新聞記者時代にアジアの女性、とりわけ南朝鮮の女性たちとも深く交流して来られました。

 ●長い間沈黙を強いられていた被害者たちが声をあげるきっかけを作り、「慰安婦」問題を国際問題にまで浮上させたのは、元梨花女子大英文科教授の尹貞玉先生(75)です。彼女は植民地時代の体験について「私も女子挺身隊にとられていたかも知れない。同年代の女性たちの苦痛を思い、彼女たちを歴史の闇の中に忘れ去ることは2度殺すことになる」と語っていました。

 尹さんは80年代からアジア各国の元「慰安婦」の足跡をたどり、その調査の記録を90年1月、ハンギョレ新聞に「女子挺身隊―魂の足跡取材記」として連載されました。これが起爆剤となって、「韓国」の女性団体が行動し始め、アジアだけでなく世界中に力強い影響を与えたのです。


 ――日本の過去を厳しく問う声が、内外から強まっているにも拘らず、日本国内の動きは鈍感な気がします。

 ●問題は戦後、日本が天皇を含めて戦犯を誰1人裁いたことがないということです。それどころか靖国神社に祀って英霊として称え、閣僚が参拝しているのです。だから旧日本軍の将兵たちは、国家の責任だ、天皇や上官の命令だ、戦争だから仕方ない、などと自分の非を認めようとしません。戦犯処罰はタブーになっています。それは、会社の命令だ、上司の指示だと自らの責任を取ろうとしていない企業・官僚社会の無責任体制にも通じると、最近の相次ぐ汚職や企業、警察犯罪のニュースを見ながら感じます。

 それでは日本で戦争責任や戦後責任を裁くにはどうしたらいいのか考えました。残念ながら日本の裁判所には期待できません。「女性法廷」は「補償」に主眼を置いてきた日本の運動に「責任者処罰」という考え方を持ち込もうとするものですから、困惑や拒絶反応も当然かもしれません。しかし、戦争犯罪や人権侵害を防ぐには加害者を処罰すべきだというのが、国際的な流れになっていて、旧ユーゴやルワンダ国際戦犯法廷を国連が開いているのです。とくに、「慰安婦」制度のような性暴力はこれまで「不処罰」でした。日本社会のありようを根本的に問うのですから、当然、逆風は覚悟しています。

 法的効力を持つものではないにしても、「女性国際戦犯法廷」を開いて、「慰安婦」制度が奴隷であったことを明らかにし、日本政府が法的責任を取るように国際世論を強めたいのです。そして、女性に対する暴力のない21世紀を創りたいというのが、私たちの願いです。

プロフィール

 1934年、京都に生まれ、東京で育つ。61年、東京外国語大学英米科卒。朝日新聞社に入社し、94年退社。現在、フリージャーナリスト。著書に「女たちがつくるアジア」(岩波新書)、「女性解放とは何か」(未来社)「北京で燃えた女たち―世界女性会議95」(岩波ブックレット)など多数。

素顔にふれて

闘う女性たちの側に立つ

 アジアの急激な経済成長は、その一方に凄まじい人権侵害と環境破壊を引き起こした。だが、その中で、「痛みを力に」強く生き抜く女性たちの姿があった。

 1961年、朝日新聞記者になった松井さんは、公害問題など日本の高度経済成長の歪みを追った。

  「キーセン観光や公害輸出、開発独裁と結びついた日本の援助の仕組み。しかし、記事を書いても載らないことが多い。あげくには『なぜ日本の男の恥をそんなに書くんだ』と非難されました」

 「マスコミがだめなら、自分たちで」と70年代には「アジアの女たちの会」を作って、「韓国」の民主化運動との連帯活動にも関わった。

 81〜85年まで、朝日新聞のシンガポール駐在アジア特派員として18ヵ国を取材。インドネシア、バングラデシュ、ビルマなどで開発独裁に伴う軍事化の暴力にさらされながら先頭に立ってたたかう女性たちのことを伝えた。

 そして、90年代に入って、日本軍性奴隷制被害女性たちを訪ねてまわった。「韓国」の「ナヌムの家」で、「ゴミのような、クズのような、何の値打ちもない私のところに訪ねてくる人がいるんですか」と盲目のハルモニが松井さんに語りかけたと言う。「その時、誰がこういう目にあわせたのか、責任を明らかにしなくてはならない気持ちになったのです」。

 94年、定年退職後、「アジア女性資料センター」やVAWW―NET Japanを設立し、代表を務める。今は12月の「女性国際戦犯法廷」の準備に世界中を走り回る。

 あのハルモニのように性暴力の犠牲になった女性たちの尊厳と人権の回復を実現したいという一念が、多忙な日々を支えている。(朴日粉記者)

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