わがまち・ウリトンネ(59)

大阪・猪飼野(4)


死者は故郷に埋葬、航空便で送る人も
根づいた風俗、風習

 1922年、大阪―済州島間の定期航路の開通によって、多くの済州島の人々が日本に渡ってくるようになった。そして、そのほとんどが猪飼野を目指し、トンネの同胞人口は増えていった。それにつれて、民族の風俗、習慣も自然と持ち込まれるようになり根づいていった。

 トンネの長老の1人、張澤煥さん(80)は、大阪―済州島間の定期船「クンデファン(君が代丸)」で数回、往来している。

 最初は30年、10歳の時に、先に大阪に出稼ぎに来ていた父に会いに、故郷の人とともに来阪した。2ヵ月ほどして張さんは故郷に戻るが、1年後、再び父に会いに大阪に来た。だが、間もなく父が亡くなり、再び故郷に帰っていった。

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 儒教の国、朝鮮では土葬が普通である。土葬には、人が土に帰るという意味が込められている。出棺は、方相(ほうそう=墓場まで引導する人)を先頭に、銘旌(めいせい=死者の名をしるした旗)、功布(埋める時に棺をふく布)、挽丈(ばんじょう=死者を哀悼する弔辞)、腰輿(ようよ=葬式の終了後に位牌を安置して持ち帰る小さなかご)、腰輿遂行、霊柩、霊柩侍従、喪主、服人、弔客の順に出発する。


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 当時、猪飼野に住んでいた済州島出身の同胞は、親や兄弟が死亡した際、土葬にしようとしたが、土地の値が高い日本では経済的に難しかった。そのため葬儀をどうするのか、もめる事もたびたびだったという。そこで考え出されたのが、遺体を済州島に送るという方法だった。

 20年代中盤頃までは、例えば、下宿屋に住み込んでいた同胞が死ぬと、同じ宿の同胞が弔意金を集め、遺体を箱詰めにし、さらに梱包して船に積んで故郷に送ったという。

 また、土葬するために故郷に遺体を送る人もいた。しかし、経済的に困難な時期だっただけに、次第に火葬も増えていった。

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 こんにちでは遺体を火葬し、遺骨を故郷に持っていく人が増えている。祖国が分断されている諸事情から、航空便で遺骨を送る人もいる。その数は月30〜40体ほどと言われる。

 また、とりあえず日本での土葬を希望し、祖国が統一された後に、故郷の地に再び埋葬をしようとするケースもある。市場で青果屋を営む黄河石さん(76)宅もその一つだ。

 「親不孝と思われるかもしれない。しかしこれだけは仕方がない。済州島出身者の多い大阪には、とくにこうした状況に置かれている同胞が多くいるんです」と、しみじみ語っていた。(羅基哲記者)

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