知っていますか-朝鮮半島なんでも初めて

チャンスン
木や石で作られた神様


雑鬼を撃退、標識の役割も

 チャンスンは村や寺院の入り口に立っている木や石で作られた神像で、漢字では「長※(=木偏に生)」「長生」「長承」「将丞」などと表記される。

 各地によって名称も様々で、中部では「コマルギ」「スサルマギ」、南部では「ポクス」、北西部では「ミルク」と呼ばれている。

 チャンスンには、男女一対の物と単独の物があり、一般的には恐ろしい将軍の面相が彫 
                                 刻されている。

 男のチャンスンには冠があるが、女のチャンスンにはなく、胴体に「天下大将軍、地下大(女)将軍」と彫られているか墨書きされている。

 では、チャンスンはどのような役割を果たしてきたのか。これについては3つの事が語られてきた。

 まず、辟邪(へきじゃ)神としての役割である。つまり、恐ろしい顔をして村の入り口に立ち悪い事をする雑鬼の侵入を防ぎ、撃退する。村全体の守護神としては洞祭神がおり、その下位の神として仕えている。

 第2に、里程標としての役割である。村の入り口に立てられ、その入り口から「ソウル50里、利川50里」などと、その下部に墨字で書かれていた。かつては、村ばかりか郡の境界には必ず立てられていたという。

 第3に、境界標識としての機能である。これは寺の場合はっきりとしていて、その周辺数里ずつとか外側四方に10余基ずつ立てて、それの立っている範囲内は寺の領有地を意味した。だから木の伐採に立ち入ったり、狩猟などの殺生(せっしょう)を行う事は禁じられた。

 チャンスンがいつ頃から立てられたのか、定かではないが、759年、新羅の景徳王18年の文献「朝鮮金石総覧」に、「乾元2年にとくに王命によりチャンスン標柱を立てた…」という記述が出てくる。

 また、中国東北部の松花江下流に住むツングース系のゴルディ族、ロシア沿海州に住むオロチ族、シベリアのオビ川、エニセイ川地方に住むオスチャク族など、北方の広大な地域にまたがる諸民族に類似した習慣がある。

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