わがまち・ウリトンネ(64)

大阪・猪飼野(9)


次世代にメッセージ送る1世/若い人がトンネ守って

 近年、JR鶴橋駅前の朝鮮市場「国際マーケット」がテレビで紹介されるようになり、客足にも変動が生まれた。

 こうした変化を受けて1993年、東商店会は「KOREA・TOWN」、中央商店会は「KOREA・ROAD」というアーケードを作った。新しい層の客を集めようとする作戦である。ちなみに西側の商店会はこうした構想には参加していない。

 市場ではかつて、1世のハラボジ、ハルモニが店番をし、商店の手入れや、客の応対にとせわしく動き回っていたが、今ではその多くが代変わりしている。解放直後から青果店を営む黄河石さん(76)の店でも、今では息子の燦寿さん(46)夫婦が店頭に立つ。

 同時に、どこのトンネにも共通した流れだが、世代交替が進むとともに、若い人がトンネから離れていく傾向が増えている。猪飼野も例外ではない。主な行き先は、住宅地として開発が進む、トンネから少し離れた生野区内の北巽や平野区、郊外では東大阪市や八尾市などの方面だ。
                                                                       黄河石さん、燦寿さん親子

 黄さんは、トンネの将来についてこう語る。

 「トンネは、助け合いの習慣が生かされたからこそ、同胞たちが早くから生活の基盤を築くことが出来た。これからはトンネを出て行った人が子供を連れて戻り、彼ら若い世代が中心になってトンネを盛り立てていく番や。1世や2世たちの生きざまを見て育った人たちなら、必ず出来るでしょう」

 張澤煥さん(80)は、「解放後の48年に、日本政府が朝鮮学校を無くそうとした時、それに95年に支部に対する強制捜索を警察が強行した時も、われわれはわれわれの財産を守った。今後は若い人たちが自覚を持って、同胞の各種財産を守っていってほしい」と、次世代にメッセージを送る。

 張さん、黄さんの子供たちは共に朝鮮学校を巣立ち、現在、民族の発展のために精一杯尽くしている。「それが我が家の財産であり、何よりもうれしいことだ」と、共に目を細めていた。
(この項おわり=羅基哲記者)

TOP記事 女性・家庭 社  会 経済・経営