知っていますかー朝鮮半島 なんでもはじめて

酒場
飲み屋を兼ねた旅館


宿泊費無料、客の区別なし

 李朝時代の風俗画に、酒幕(チュマッ)を訪れる客とそれに応対する酒母(女主人)の光景を描いたものがある。一度は目にした読者も多いのではないか。

 その名前から、現在の飲み屋を連想しがちだ。元来、都会ではそれが本業だったが、田舎では旅館の意味合いが濃い。

 かつての朝鮮半島には、商人宿兼問屋の客主、旅館そのものの旅閣、そして半官半民の院館などの旅館があった。

 酒幕は、これらの専門旅館とは違って素朴、簡便なのが特徴だった。だから全国の至る所で営まれていた。

 全羅、慶尚、忠清の各道の大路や道路付近一帯の大小の村や船着き場、市の立つ場所、鉱山などどんな山間へき地にも存在した。
   (1900年頃の酒幕風景)

 酒幕の主人は、人の妾とか一線を退いた酌婦たちだった。客は両班でも常民(当時の賤民を除く一般民衆を指す)でも、いったん酒幕に宿を取ると区別される事なく扱われたという。

 1897年、イギリスで出版された女性旅行家ビショップの「朝鮮とその隣邦」に、当時の酒幕の有様が以下のように描かれている。

 「道ばたの空き家とも見えるものだが、軒下に馬の飼い葉桶と棒杭が立っているので、辛うじて旅館だとわかる。

 障子戸を押し開けて中に入ると、土間の上にわらむしろを敷いてあるのが部屋である。角材を5、6寸ほどにした枕が5、6個そこらに転がっている。

 この枕が暗示するように、この部屋は旅人が独り占めにすることの絶対できないところである。貧富の差別も男女の区別もなく、手当たり次第に客を入れるのが慣習になっている」

 ほぼ、事実通りだが、男女の区別はされた。

 客への対応は素朴そのもので、宿泊費は無料。酒食代だけを取った

 また、部屋に人が入り込める余地がある限り、素泊まりの旅人でも拒むことはしなかったという。

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