素朴なオカズの裏事情

チャンヂャが食卓から消える? !


 同胞の食卓では、キムチに次ぐ顔なじみと言えるチャンヂャ。近年の朝鮮料理ブームで日本でも知られるようになったが、実は、原材料不足から深刻な品薄状態にあり、販売業者らは仕入れルートを確保せんと、文字通り世界を飛び回っているらしい。素朴なオカズ、チャンヂャをめぐる意外に壮大な裏事情をのぞく。

品薄の原材料、業者ら奔走
最大の洪給源、北米で「タラ戦争」/南の市場向けに業者が独占

情熱が武器

 3年前の冬、1人の在日同胞男性が、寒風吹き荒ぶ北米の港町を訪れた。男性は当地の水産会社を訪ね歩き、熱心に取り引きを申し入れた。そうした努力を重ねて、翌年になってようやく仕入れルートを確立できた。

 この男性は、神奈川県の食品会社幹部、Kさんだ。「チャンヂャなど知らない米国人との商談は、正直ほねが折れました。向こうからすれば、魚の内臓は加工に手間がかかるうえ、そんなもの本当に買うのかと半信半疑なわけです。情熱だけが武器でしたね」と話す。

 同業者どうしで仕入れルートを明かすことはないというが、海外に足を伸ばす会社はほかにもあるという。

 だが、チャンヂャは言うまでもなく、マダラ(テグ)やスケトウダラ(ミョンテ)の胃や腸を塩辛にした朝鮮の食べ物だ。その原材料をなぜ北米まで――。

 元来、チャンヂャの材料はマダラの内臓が主だったが、朝鮮東海でマダラの水揚げが減るに従い、比較的に豊富なスケトウに移った。しかし、歯応えのあるマダラに対する需要が強く、再びこちらに回帰した経緯がある。

  そして、現在の太平洋におけるマダラの主な漁場は、北緯40度以上の北米海域なのだ。97年の漁獲は、日本の約5万8千トンに対して米国は約30万トンと6倍の開きがある。今や日本で売られているチャンジャは、大部分が北米原産と言われる。


輸入激減

 では、チャンヂャが足りなくなったのはいつ頃からで、原因は何なのか。

 Kさんの説明では、4年ほど前に商品が市場でダブついて値崩れし、海外の供給元に嫌われたことが発端。一方、居酒屋などで朝鮮の家庭料理が人気を呼ぶに従いチャンヂャの需要も増大、「どこも欠品を防ぐのに必死で、顧客の要望に応え切れない業者も出ている」とのことだ。

 また、タラの胃を扱っている東京の同胞商社マン、Yさんによると、価格も最大で5、6倍に跳ね上がったという。

 資料を当たったところ、チャンヂャや原材料であるマダラの胃に関する詳細な流通データはみつからなかった。しかし、胃袋を含む冷凍タラ(卵や白子を除く)の輸入量は、95年には1万5000トンを超えていたのが以降激減、昨年は700トンを割っている。

 さらに詳しく見ると、圧倒的なシェアを占めていたロシア産が急速に減り、代りに米国産が徐々に伸びている。乱暴な推測だが、Kさんらの努力の足跡が見て取れないだろうか。

漁獲規制

 今後の展望はというと、KさんとYさんはともに「厳しい」と言う。実は、マダラの不足にはもう1つ重大な理由があるのだが、それが将来にも影を落としているのだ。

 太平洋でも大西洋でもとれるマダラは、広く世界で賞味されている。しかし、北大西洋では数世紀も続く乱獲で水揚げが急速に減少。60年代末には400万トンもとれたのが、97年には136万トンと惨たんたる有様で、資源保護が叫ばれている。

 太平洋側では、97年の総漁獲量こそ70年代の3倍に当たる44万トンに伸びたが、ロシア、カナダ、日本の主要各国での漁獲は減り、伸びているのは米国だけ。資源保護の必要性が指摘されているのはこちらも同様で、厳しい漁獲規制の動きが出ている。

 先行きの厳しいマダラ漁業だが、古くから親しまれている魚だけに、市場からの引き合いが弱まるとも思えない。

 マダラ漁業の歴史をひもとけば、数世紀前には英仏の漁師が命を賭して北洋に出漁し、需要を支えた。最近ではなんと75年に、イギリスとアイスランドが漁場をめぐって対立。海軍艦艇などが砲火を交える事態にまで至っている。

 Yさんによると、これほどではないにせよ「北米でも銃声なきタラ戦争が起きています」。南朝鮮の食品業者らはマダラの胃の需給の緊張を以前から見越しており、北米の供給源を自国市場向けにほぼ独占しているというのだ。

 「そこで新たなルートを作るのは、かなり難しい仕事なんです。でも、需要に応えるには努力を続けるほかありません」(Yさん)。

 今の所、チャンヂャの不足は商取引レベルで、消費者にまで至っているかは分からない。ただ、今後も食卓で気軽に食べられるかどうかは、「タラ戦争」の進展いかんによるのかも知れない。 (金賢記者)

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