暮らしに民族のリズムを

−高知チャンゴサークルを訪ねて−


 南国土佐、高知。5月の半ばを過ぎると、町はすっかり夏の装いに変わる。街の中心部にほど近い場所に同胞らが集う朝鮮会館がある。白亜のモダンな外観で、清潔感が漂う。

 ここで月2回、県内のオモニたちが集まって長鼓(チャンゴ)サークルの練習が行われている。サークルのメンバーは8人程だが、出産前後のオモニや仕事の都合で来れないオモニもいて、この日は4人ほどが練習に励んでいた。

朝鮮人の旗、高らかに/呉静恵

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 その内の1人、中土佐町久礼に住む呉静恵さん(37)。高知市まで車で2時間かけてやってきた。2男1女のオモニでもある。

 「なぜ、忙しい時間をやり繰りしながらチャンゴの練習に通うのか、といえば、やはり民族の文化に触れたいからでしょうね。朝鮮人と言えば我が家だけという小さな町に住んでいるので、親しくつきあっている人はみんな日本人。言って見れば、彼らにとって私や夫、子供たちは朝鮮人の代表であり、『民間大使』のような存在なんです。だから、朝鮮の文化や歴史をもっともっと勉強したいと思ってこのサークルに入りました」

 朝鮮学校には中級部1年まで通い、日本の学校を卒業して看護婦資格を持つ。結婚してこの地域に来てボランティア活動に励んできた。今では町中の人たちから「チョンエさん」の名で親しまれている活発な女性だ。

 「下の子供たちが初級部に上がる年齢になったら、朝鮮学校に送ろうかな、と思っています。それまでは地域で子供を育てるので、朝鮮人として自然体で暮らせればいいと、近所の人にキムチを分けたり、チョゴリを見せてあげたりして、素顔の我が家を理解してもらおうと思っています」

 そんな熱意が実を結び、今では地域の小、中学校に招かれて、「在日朝鮮人の生き方」について講演するまでになった。すると、パチンコ業を営む夫にまで講演依頼が舞い込むほどに。夫妻の明るさと地域に溶け込もうとする姿勢が好感を持たれたのだ。ある時に、地域の名士の家に一家で招かれた際、その家の80歳のお年寄りから「昔はすまんかった」と涙ながらに謝罪されたことがあった。その人は「あの時代に『従軍慰安婦』に関わらなかった日本の兵隊などいなかった。本当にすまんかった」と心から頭を下げたと言うのだ。

 呉さんは日々のふれあいの中で、否も応もなく「朝鮮人としての旗を鮮明に掲げて生きることの手応え」を感じているという。


 昨年11月に結婚したばかりの鄭美子さん(28)。半年前までは松山市にある四国朝鮮初中級学校の教員だった。「来たばかりであまり友人もいなかったのですが、サークルの練習に出るようになって心を通わすオモニたちと知り合えて本当にうれしい」と笑顔で話す。

 生まれ育った松山に比べ、同世代のオモニたちが少ないが、早く暮らしに慣れて多くの友人をつくりたい、と笑顔で話した。



オモニたちを結ぶ絆/朴順和

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 朴順和さん(48)。結婚を契機に神戸から20数年前に移り住んだ。子供たちを四国朝鮮初中級学校の寄宿舎に送ったあと高校からは、実家のある神戸朝鮮高級学校に通わすなど民族教育に心を砕いてきた。「幼子を手離す時のオモニの苦痛や悲しみは言葉では言い表せないものがあります。だからこそ、ウリハッキョで着実に朝鮮の子として成長する我が子の姿を見た時の喜びもひとしおなのです」と語る。

 朴さんは高知のような同胞が少ない地域で暮らすからこそ、 オモニたちを結ぶ絆としてのチャンゴサークル」を息長く大きく育てていきたい、と思っている。

 それぞれの胸の思いに支えられてスタートしたチャンゴサークル。1年目を迎えて「もっともっと上手になりたい」という意欲がメンバーの心にふつふつと沸きあがっている。    (朴日粉記者)

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