南朝鮮文学に描かれている米国(4)―卞宰洙
1980年の光州人民抗争以後
誰があの狼を指して黄狗だというのだ・・・
美術界においても反米を描いた作品が表れた
基地撤去などを求める運動は日ましに高まる
◆ ◆ 今年で20周年を迎えた光州人民抗争は、反米自主化と民族統一の志向性を鮮明にした英雄的なたたかいであった。以後、5年間に光州、釜山、大邱、ソウル各地の米文化院と駐「韓」米大使館が放火、爆破、占拠され、米信託銀行、米商工会議所もたたかいの標的にされた。このような高揚する反米自主化と民族統一への希求は、当然のことながら文学の創造にも強い影響を及ぼし、多くの傑作を生み出した。 新進作家で、光州の戦いをつうじて米軍の侵略的本質を見抜いた尹静慕の「韓国」軍特戦部隊の手綱を引いたのが米軍であることを暴露した長編「手綱」と、中編「光り」、それに「行こう、わが古巣へ」はとくに注目すべき作品である。 このほかにも「5月文学賞」受賞の新人作家チョン・ドサンの「ここ植民地にて」「その年の冬、遠い道」「暁の列車」の3編、労働者作家ホン・フィナムの「旗」、女流の中堅作家である金仁淑の「再び星条旗の前に立つ」などがある。また、日本で生まれ「思想界」誌の新人賞を受賞した柳舜夏の中編「私が描いた私の顔ひとつ」、「月刊文学」誌の新人賞を受けた朴石秀の連作小説「鉄条網の中の口笛」と「同居人」、新鋭女流キム・ジョンインの「無等山」、現実批判の気鋭キム・ソクヒの「地鳴り」等々の小説は、いずれも反米的文学潮流を成す作品群である。また、こうした潮流の一到達点として88年に図書出版ハンギョレから「反米小説選」(金相一編)が出版されて話題を呼んだ。
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◆ 誰があの/狼を指して黄狗だというのだ/誰があの狼を指して/うちの黄狗だといっているのだ/尾が長くて/毛並みが黄色で両耳がとがって姿が似てるからとて/狼はうちの黄狗なんかではない/真夜中の暗闇で/うちの村に/赤い月 血まみれになって襲いかかり/黄狗の喉を牙で食いちぎった/あの同じ4足の/狼を指して/誰があの狼を指して黄狗だというのだ/誰があの狼を指して/我が家を守る黄狗だというのだ(「狼と黄狗」全文) この詩で「狼」をアメリカ「黄狗」を「韓国」と読めば、詩人の反米精神が容易に伝わってくるであろう。詩における反米のモチーフは「狼と黄狗」のように強烈な詩行となって表わされることもあれば、90年初頭に月刊「マル」誌に発表された申庚林の次のようなピアニッシモのリズムで書かれるものもある。 小白山の裾野の牧場で/羊の群れを追う犬はどれも英語だけを聞きとる(中略)牧童は/数言の英語で/命令さえすればすむ/忘れていた私たちはあまりにも長い間/忘れていたのだ/犬の言いなりにされているのが/羊の群れだけではないことを(中略)犬を英語で使いこなし/笑いはしゃいでいるのが/牧童だけではないことを |