女の時代へ
中塚 明著 「歴史家の仕事」を読む
もうすぐ夏休み。こんな時だからこそ、親子で本を読んで、じっくりと感想を語り合ったりするのもいい。そんな時、ぜひ、一読を勧めたいのが、最近刊行されたばかりの「歴史家の仕事」。著者の中塚明さんは歴史家で奈良女子大名誉教授。近代日本を通底するゆがんだ朝鮮観を根底から覆す視点を切り開いた史学者。 歪んだ朝鮮観感をただす 「いま、巷では『ガイドラインに盗聴法 君が代 日の丸 法制化 仕上げは憲法改正で 何処に行くのか 日本人』(すずき・きよしさんのCD『本音のうた』所収の『日本人のブルース』)と案じている日本人がたくさんいます。昨年(1999年)はそういう思いをいっそうつのらせた年でした。戦後日本の国のかたちを根本から変えてしまおうという動きがきわだったからです」 どうしてこのような事態が20世紀の最後の時期になって、この日本にたえがたいほどに現れるようになったのだろうか。こうした問いに中塚さんはこう応えている。「この現代日本の閉塞状況をきりひらくために、いまこそ、事実にもとづいて、このような事態をもたらした歴史を批判的に見抜く力を身につけることが切実に望まれる」。 非科学的で独善的な「歴史の見方」は、「その見方」が人々の頭脳を支配し行動となってあらわれるとき、破滅的な事態をもたらすようになる。1945年の敗戦に至る日本の歴史を顧みれば、それは自明であると中塚さんは語る。 一方、科学的な歴史の見方とは、事実をその原因によって説明することを言う。中塚さんは科学的な歴史の見方を身につけることによって「人々は精神的に健康になり、虚言・虚構から解放されることができます、そして自分の判断で現実を批判し、未来を洞察することも可能になります」と説いてやまない。 歴史家として歴史の虚像(ウソ)を許さない仕事をするのは当然だと中塚さんは語る。しかし、日本の近代史の中でウソは繰り返し主張されて、あたかもそれが事実であるかのように人々に信じ込まれてきた。その最も大きいウソの一つが「天皇は平和主義者だった」という作り話だと指摘する。天皇を「平和主義者」とするとき、たえず引き合いにだされるのが、明治天皇が日露戦争の時うたったといわれる「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という和歌。「世界の人びとは皆兄弟姉妹だと自分は思っているのに、どうして平和を乱す波風が立ち騒ぐのだろうか」(現代語訳)と、日露戦争中にうたい、それが明治天皇の「平和への固い意志」を示したものとされている。 明治天皇は天皇の大権を行使して、日露戦争を遂行しているのだから、開戦前から、日本軍が朝鮮を占領しようとしていたことを承知していた。さらに、戦争が始まると時を移さず、「日韓議定書」を強要し、1905年には「乙巳五条約」、10年には「韓日併合条約」などを押しつけて植民地化を完成した。 中塚さんは「日本の天皇が、一方で朝鮮人の首を締め上げ、中国人の横腹を軍靴で蹴り上げながら、『…どうして平和を乱す波風が立ち騒ぐのだろうか』という歌を平気で詠んで怪しまなかったことの意味、そして今なお、この歌をことごとくに取り上げて『天皇の平和への意思』の表明だなどと言ってはばからないその意識の意味を、しっかり考えてみる必要がある」と強調する。 朝鮮や中国を侵略することになんのためらいもなかったことは、こうした天皇の言動を見れば、明らかだ。しかし、中塚さんはこうした歴史意識がひとり天皇のみならず、日本の政治家・思想家・ジャーナリズムにいまなおあとを絶たないところに「日本の近代史研究の大きな問題がある」と指摘する。 今日、朝鮮半島で劇的に進む和解と統一の動きに1人背を向ける日本。緊張と戦争の道は、破滅しかもたらさないことは歴史が教えるところである。しかし、日本の政治システムは平和の構築に何の策も持たない。中塚さんはこう喝破する。「政・官・財を貫く底なしの泥沼のような無責任体制の根源は、戦後の処理=天皇の戦争責任を全くとらなかったことに源を発している」。この夏、歴史を顧み、現代政治を見据える上の必読の書。 (朴日粉記者) |