Jリーグでがんばってます
在日同胞のニューフェイス
サッカーの名門、初芝橋本高校(和歌山)を経て今シーズンからジェフユナイテッド市原と契約した金明輝と、この6月、在日朝鮮蹴球団からヴェルディ川崎に入った梁圭史。2人の在日同胞Jリーガーを紹介する。(韓東賢記者)
「代表」心にしまい黙々と/アジア杯予選経てプロ入り 「ベンチにいるだけで足が地につかない感じ。こんなに緊張したのは生まれて初めてだった」 今年3〜4月、マレーシアとタイで開かれたアジアカップの予選に、初めて朝鮮の代表として出場した。予選突破はならなかったものの、圭史は夢だった国家代表として6試合すべてに出場。3得点をあげた。 倉敷朝鮮初中級学校(当時)を卒業後、広島朝鮮初中高級学校高級部を経て、97年に在日朝鮮蹴球団入団。以来、攻撃の要として活躍してきた。しかし、外国人主体のチームが上のリーグに昇格できないという規定の「壁」の前で、歴史ある蹴球団は今年から非常設チームとして再出発することになった。 新たな場を求める圭史にとって、国家代表への選出は夢の実現であると同時に大きなチャンスだった。 5月からJ1・ヴェルディ川崎のテスト生となり、6月に契約。それから1ヵ月足らずの今月五5には、ナビスコカップへの出場でプロデビューを飾るという順調なスタートを切った。南朝鮮代表の金都根と共にピッチに立ったことから、「南北統一先取り」と大々的に報道もされた。 しかし現実は甘くない。試合にフル出場し、ゴールを決めた金都根に比べ、圭史の出場は前半のみ。果敢にシュートを放つなど積極的にアピールするが、得点には結びつかなかった。以来、試合出場のチャンスはない。「アジアカップ予選は本当にラッキーだっただけ」。自分の実力は自分自身が1番よく知っている。 「朝鮮代表」という看板は新たな活躍の場を得るチャンスとなった反面、プレッシャーにもなりうるのではと聞くと、「もちろん、心の底に代表としての誇りのようなものはあるが、自分はまだまだ。普段は考えないようにしている」。淡々と答えた。 ヴェルディには先にあげた金都根ともう1人、南の元代表でファーストステージ得点王の金鉉錫がいる。 「ヒョンニムたちはうまい、すごい、強い。学ぶところばかりだ。人見知りなので、自分からはあまり話しかけられなかったけど、言葉が通じるって分かってからは可愛がってくれる」 当面の目標はもちろん試合に出ることだ。そのためのライバルは「ぞろぞろいる」が、Jリーグで、そしていつかはワールドカップで、尊敬するヒョンたちとの真の「南北競演」の日を目指し、今日も黙々とトレーニングに励む。 信頼されるプレーヤ目指し/「近道」選んだ無念さバネに 「Jリーグ発足が初級部5年の時。その時のことは今も目に焼きついている」 幼稚班、初級部は伊丹朝鮮初級、中級部は尼崎朝鮮中級に通った。「朝高へ進むのが当たり前」の家庭環境。自分自身もそう思って育ってきた。しかし、初級部の頃からプロのサッカー選手を目標にしていた明輝にとって、全国高校サッカー選手権大会に出ることは「不可欠」との思いが募るようになった。 朝高に選手権の門戸が開かれるという決定が中3の時。翌年から出場資格が与えられても、高3までの間に出場できるのかは未知数だった。さんざん迷った末、明輝は「どうしても選手権に出たい」という「わがまま」を通し、初芝橋本へ進学した。 念願の選手権に高2、高3の2回出場。キャプテンとして臨んだ高3の時はベスト16まで進んだ。そんな華々しい経歴の一方で、高校時代の彼にとって一番つらかったことは「朝高との試合」だった。「ある意味、トンムを裏切って近道を選んだ」という思いは、明輝の心に影を落とし続けた。 「近畿大会などで大阪、神戸朝高などと度々対戦したが、できればやりたくないというのが正直な気持ちだった。もし中3の時、朝高に選手権出場資格があって、優秀な指導者がいたら、僕は迷わず朝高へ行っていた。本当はトンムたちと一緒に全国を目指したかった。その無念さを振り切るためにも、朝高には絶対に負けたくなかった」 将来的には、「コーチでもなんでもいいから指導者として、朝高サッカーを強くするために貢献したい」と強く思っている。 目標だったJリーガーになって半年以上が過ぎた。しかし、これまで出場した試合はカップ戦の2試合だけ。厳しい世界だ。 「もっと実力を高め、リーグ戦の試合に出るのが当面の目標だ。そして、お前がいれば絶対に大丈夫と思ってもらえる、信頼感の厚いプレーヤーになりたい」 大きな目標はやっぱり国家代表。先日の南北首脳会談後は、「いつかは統一チームに入りたい」という新たな夢も生まれたが、簡単なことではない。でも「僕はしぶといですよ」と笑顔を見せた。 |