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〈2006年サッカーW杯アジア最終予選〉 対日本 朝鮮代表気持ち新たに「ホームでリベンジを」

日本のゴールにシュートを放つ在日同胞Jリーガーの安英学選手

 既報のように、2006年ドイツW杯アジア最終予選の初戦(9日、埼玉スタジアム2002)で、日本代表と対戦した朝鮮代表。前半4分に失点、後半のDFナム・ソンチョル選手の同点弾に一筋の光を見出したが1−2で惜敗した。去年のアジア杯覇者に敗れはしたものの、対等に渡り合った経験を糧に「ホームでリベンジ」を、と選手たちは気持ちを新たにした。引き分けを目の前にした手痛い敗北だったにも関わらず、同胞応援団も「よく戦った。満足だ」「ホームでは必ず勝利を」と、W杯出場への願いを託していた。

「高い技術で球ぎわ強い」

5000余人の同胞がバックスタンドを真っ赤に染めた

 朝鮮代表は中国最南部のリゾート地・海南島での合宿を打ち上げ、7日、成田空港に降り立った。

 到着ロビーで選手団を熱烈に歓迎する約200人の在日同胞ら。選手たちは、千葉朝鮮初中級学校生徒らが作ったお守りと花束を受け取り、思わず笑顔を浮かべていた。

 成田空港は物々しい雰囲気に包まれていた。報道陣150人に厳重な警備態勢。警備員らはセレモニーの間、3メートル間隔で周囲に立ち、警戒の目を光らせていた。

「必勝! 朝鮮」。かけ声にも力が入る

戦況をじっと見つめる応援団

 日本の報道陣は、宿泊する都内ホテルの前や同胞焼肉店にまで押し寄せた。とりあえずどこに行っても「報道陣の嵐」に、選手たちは少しあきれた様子だった。

 「代表選手らは一体、何を食べているんでしょうか?」と聞いてくる記者も。スポーツ紙には、選手たちがどこで何を食べたかまで報道される始末だ。

 「謎のベールに包まれた北朝鮮」−今回の日本の過熱報道は、そんなイメージが先行したせいかもしれない。現に朝鮮代表は、1993年カタール・ドーハでアジア最終予選に出場して以来、国際舞台から遠ざかっていた。そのうえ、情報量が圧倒的に少なかったこともあるが、どうもそれだけじゃないように思えた。

 実際、「現代の朝鮮サッカー」について触れるメディアは少なかった。パワーサッカー、ロングパスでつなぐ単純なサッカーを想像した人も少なくないと思うが、日本戦でベールを脱いだ朝鮮のサッカーはそうではなかった。

「イギョラ! 朝鮮」。大声で応援する同胞応援団

 南北朝鮮のサッカー事情に詳しいスポーツライターの慎武宏さん(33)は、「技術がとてもしっかりしている。1点目のシーンが象徴するようにチームとしてあうんの呼吸ができている。南朝鮮にはない細かいパス回しも印象的で球ぎわも強い。しかし、ディフェンダーに課題が残る。その部分を補っていけば成長する余地がある」と分析する。

 在日本朝鮮人蹴球協会の李康弘理事長は海南島の合宿から朝鮮代表を見てきた。日本代表との試合を終え、今の朝鮮代表に何が必要かを聞いた。

 「ある程度の成果は得たと思う。それは今回の経験から自信を得たこと。国際試合の舞台がまだまだ少ないだけに、今回の経験を今後どのように生かすかがポイントとなる。また、小さなミスを少しずつなくしていければもっとチームはよくなる」

2人の同胞Jリーガー「次こそ勝つ」

東京朝鮮中高級学校の生徒たちが作った応援メッセージ

 滞在4日間、同胞たちは朝鮮選手団を温かく見守った。ホテルには日本各地のウリハッキョや各地朝青支部などから送られてきた横断幕やメッセージが飾られた。

 7日、東京朝鮮中高級学校を訪れた際には、東京朝高サッカー部1、2年生らの熱い出迎えを受けた。在日同胞Jリーガー・安英学選手(26、名古屋グランパスエイト)の母校だけに、安選手が登場するといっせいに歓声が上がった。移動の疲れもあったようだが、会話しながら食事を楽しんでいた。

ホームでの雪辱を期して乾杯する選手ら(9日、東川口の同胞焼肉店)

 日本戦のあと、朝鮮代表の監督、選手らに話を聞く機会があった。

 ユン・ジョンス監督は、試合を振り返り、「これで終わったわけじゃない。次のホームでは必ず勝つ」と雪辱を期した。

 同点弾を決めたナム・ソンチョル選手(22、DF、4.25体育団)は、人民学校3年生からサッカーを始めた。03年に代表選出。それからポジションはずっとDF一本だ。趣味はトランプ。「現在ガールフレンドはいない」と顔を赤らめる。「1点を入れようとつねに考えていた。狙って思いっきり蹴った。次のホームでは必ず勝つ」と力強く語った。

到着時には200余人の同胞らが熱烈に歓迎した(7日、成田空港)

 ユン・ジョンス監督がエースと認める10番のホン・ヨンジョ選手(22、FW、4.25体育団)。趣味は音楽、特技はピアノだというから驚きだ。人民学校4年からサッカーを始め、02年に代表に選出された。

 「同胞らの応援があったから、いい試合ができた。負けたのは心残りだが、次の日本戦では自分が必ず点を入れる」と笑顔で語った。

 在日同胞Jリーガーの安英学選手、李漢宰選手(22、サンフレッチェ広島)も最終予選の舞台には特別な思いがあったようだ。

「필승(必勝)」と書かれた横断幕を選手らに手渡した東京朝高の生徒たち(7日、東京朝高)

 安選手は、「本当に惜しい試合を逃した。在日同胞はもちろん、試合終了後に日本の人たちが手を振ってくれているのを見て、とてもよかったと感じた。とにかくホームでは必ず勝利したい」と話す。

 一方、李選手は途中交代に「悔いが残る…」と涙を流した。

 「朝鮮代表として日本代表と、日本の地で試合をするのが夢だった。こんなめったにない機会に多くの在日同胞たちが応援してくれたのに、最後まで出場できなくて本当に悔しい。残り5試合は、コンディションを整えてベストを尽くしたい」

 10日午後、成田空港から帰国した朝鮮代表。「気持ちを新たに」−ユン監督の言葉通り気持ちを切り替え、3月25日、ホームでバーレーンと戦う。(金明c記者)

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[朝鮮新報 2005.2.12]