「オモニのふところ、アボジの背中」を試験に出題
東京中高中級部2年・社会科
受けとめた民族愛する心
2月7日付「オモニのふところ、アボジの背中」に掲載された漫画家・全哲さん(66)が書いた「なぜプールに入れないのか 先生を一喝した母」に様々な反響が寄せられた。そのなかでも、東京朝鮮中高級学校中級部2年(62人)の社会科の3学期の中間試験にこの記事が出題されるというユニークな試みがなされた。論文形式で意見を求めたところ、答案に「オモニのわが子を思う強さに感動した」と書く生徒もいれば、「1世同胞の組織や指導者を愛する気持ちに打たれた」という感想も多かった。(全哲氏の記事)
深い理解力と感受性
自由に学び、自主性育てる試み
全さんの記事には重層的なメッセージが込められていたが、生徒たちは、1人1人の理解の程度に応じて、きちんと受け止め、心に刻んだようだ。
「中学生たちの理解力や感受性が、それほど浅いものではない、ということが答案を読んで良く分かりました」と語るのは同校で社会科を教える金松淑先生(31・写真)。試験に出題した意図についてこう話す。
「ウリハッキョの中学社会科の授業では在日同胞の解放前、解放後の生活、歴史、権利、生活保障などの全般について学びます。
しかし、私自身も3世であり、解放前の歴史的事実を教室で指導するのは難しい点があります。そんな時、この記事に触れ、1人のオモニの体験を通して、生徒たちに民族の歴史の一端を生き生きと伝えることができる、と思ったのです」
金先生の狙いはスバリ的中した。高成美さんは答案に「オモニの祖国を愛する心、組織のリーダーを尊敬する気持ちの強さに感銘を受けた。私たちは、悲惨な過去を忘れてはならず、このオモニのように最後まであきらめず闘うべきだと思った」と書き、朴未華さんは「植民地支配のもとでも、解放後でも、いかに朝鮮人が差別され、民族の尊厳を踏みにじられたかよく分かった。学校のプールにも入れてもらえなかった全先生の無念さをとてもよく理解できた。今でも、日本では大きな事件が起きるとすぐ朝鮮人の責任に転嫁するが、そのやり方は昔と変わっていない」と綴った。
歴史をいかに教え、学ぶのか。金松淑先生はつねに生徒たちに問いかけていると言う。「生徒たちはほとんど3、4世です。教科書はあくまでも教材であって、絶対的な聖典ではない。その時代の空気を反映し、社会的な話題に応じて、生徒たちに興味を持たせるものでないといけないと思います」。金先生は授業ではとくに、新聞の記事や映画、ビデオの上映などを積極的に取り入れて、子供自身が自分で観て考えるよう工夫してきた。「歴史的事実に基づいて教え、自由に学ぶ。それによって将来に向け1人ひとりが自主的な判断力を養う。社会や歴史の学習はそうした営みを手助けするためにあると思います」と金先生。
子供たちに芽生えた学ぶことへの真しな態度は生徒たちの答案に書かれた「同胞らの歩んだ歴史を具体的に学びたい」「同胞の暮らしと権利をもっと教えて」という意見からも伺える。
一方、宋水苑さんは全哲さんの記事をヒントに近・現代史の焦眉の問題にまで思考を巡らした。「日本政府がいかに侵略の歴史をわい曲したり、隠ぺいしても、『従軍慰安婦』問題のような非人道的な行為が、朝鮮民族や世界の人々の前で免罪されるわけもない。日本は過去をきちんと謝罪すべきだし、教科書にもその事実を掲載すべきである。その責任を果たせば、朝鮮と日本は真の友好を結ぶことができるだろう」。
自分の頭で考えて、自分で紡ぎ出した意見。金先生がそれぞれの答案に高得点を付けたのはいうまでもない。 (朴日粉記者)